[美しき日本] 奈良 天忠組
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- Опубликовано: 2 дек 2024
- 国を想い、命を賭した若き志士を、温かく弔う里があります。
監督・ナレーション 河瀨直美
音楽 ハシケン
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維新の礎となり散った幕末の志士たちを、供養し続けてきた山の民たち
奈良県東吉野村は、明治維新のさきがけといわれる「天忠組(てんちゅうぐみ。天誅組とも)」終焉の地として知られます。
天忠組は、幕府の支配体制を終わらせ、天皇を中心とした新しい政治体制を築こうとする尊王攘夷派の武装集団で、メンバーは平均年齢25歳の若き志士たちでした。孝明天皇が攘夷祈願のための大和行幸を決めた際、皇軍の先鋒たらんとして旗揚げし、倒幕のさきがけとなるべく、1863年8月17日に大和五条の代官所を襲撃します。
ところが翌日、京都で政変が起こり、大和行幸が延期となりました。大義名分を失った天忠組は賊軍として幕府軍に追われることとなり、多くの志士が吉野の地で壮絶な最期を遂げます。村人たちは突如現れた武装集団を大変恐れたといわれますが、その後、現在にいたるまで、志士の霊を温かく供養し続けてきました。
無謀と知りながらも、命を賭して国に尽くし、維新を目前に散った若者たち。その志、純粋さ、無念を、山の民の深いやさしさと憐憫の情が包み込み、慰め続けてきたのです。
Present by 奈良県(制作2013年9月)
美しき日本奈良 u-nara.jp
RUclipsチャンネル「NipponArchives」
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天誅組を取り上げてくれて嬉しいです。
天誅組志士の1人の直系の子孫より
やまとあまでらにお茶作りで拝見しました。素敵なあやこさんと妙子さん!大好きです、テレビに出て生活ぶりをはいけんしたい。お食事や毎日の暮らし方を是非拝見したいです。
「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」 吉田松陰
五條市大塔町に、あやこさんと妙子さん。お茶作りの名人!てれびにでてほしい…あいたい
中山忠光以外は殆ど悪意なく挙に参加しているかと思えば河瀬監督の意図も解るかな。
中山忠光を悪と捉えること自体が間違っている。
@@大川周明-r4b
私は天誅組に駆り出された側の同郷ですのでどうしても肩入れしてしまいます。ですが言い方がよろしくなかったというのならばお詫びします。
十津川郷にも正義があれば中山忠光にも彼の正義があったでしょう。
賊軍に成り果てたことを隠していた点を指摘されるなら、中山忠光だけでなく野崎主計や深瀬繁理など十津川郷士にも同罪の人間はおられる。
自分は十津川村も古くから尊王、勤王の地にあって、それぞれの正義と言うよりも、同じ志を持った同志であったことに間違いは無いと思っています。
政変の憂い目にあって、仕方の無い事情をそれぞれ抱えてしまったのだと考える次第。
悪意があったと責められるべくは村人に必要のない狼藉を働いたとされる追討軍の方かと思います。
@@大川周明-r4b
中山忠光と郷士を同列に語れますか?
十津川郷士は首謀者ではなく兵力扱いで作戦会議にも出てないと聞きましたが。
@@user-kei-megumi 自分が同列に語っているのは尊皇攘夷としてのその思想、精神性の部分です。そして中山忠光は大将として大いに未熟であったとは思いますが、“首謀者”であるとか、彼のみに事の責任を持っていくのは誤りであると言いたいのです。
郷士を欺いて募った点においては、中山忠光だけでなく、村の有力郷士も知っていて引率したのだから同罪だと考えます。
欺かれた格好のまま戦闘で死んでいった郷士も居たことだろうから…その方々が可哀相だとは自分も思いますよ。
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吉村虎太郎が好きだ。
俺の誕生日は吉村虎太郎の命日である9月27日だ。
命日が誕生日。それは運命であり定めでもあり俺は、俺こそは吉村虎太郎の生まれ変わりだと信じている。信じ切っている。
吉村虎太郎の辞世の句を読むだけで体の芯が熱くなり涙が頬を伝う。
吉村虎太郎がやろうとしたこと、理想を両手を上げて支持している訳ではない。昔は全身全霊で吉村虎太郎こそ正義。大和天誅組こそ大義と信じていた。
大和天誅組…知れば知るほど無謀であり暴挙でありその策も行き当たりばったりであったことも承知している。
今風に例えれば吉村虎太郎は孝明天皇の熱狂的なファンでありストーカーであったと思う。
孝明天皇による大和行幸を信じ、頼まれもしないのに先鋒隊を勝手に名乗り大和天誅組を旗揚げ、五條代官所を襲撃し鈴木源内という愛されキャラを討った。いや、討ってしまった大和天誅組。
気持ちや思いだけで動いてしまった大和天誅組。意地や引くに引けないという根性だけで戦い散った大和天誅組。
今の時代、ブラジルへ行くとしたらそのルート、最短距離、飛行料金…調べ尽くしてブラジルへ向かうのが利口な策といえよう。
方や、真っ先に桂浜に飛び込んでクロールでブラジルへ向かってしまったのが大和天誅組であり吉村虎太郎である。
俺は今の時代、調べ尽くし器用にこなす策士より、損得勘定なく気持ちや心で馬鹿正直に突進し玉砕する人間こそ愛しく想うし、時代の主役であれと心から願う。
土佐四天王と言われながら高知駅前には坂本龍馬、武市半平太、中岡慎太郎の銅像はあるもののハブにされたかのように吉村虎太郎の銅像はない。
そんな吉村虎太郎を愛してやまない。
2021年11月11日、紅く染まりだした葉が風に乱れる東吉野村鷲家口、吉村虎太郎の討つ太刀が血煙となり天へ登り出す大和天誅組終焉の地にて、たったひとり俺は吉村虎太郎と魂の継承の儀をした。
そして吉野山のより紅く染まった紅葉を胸に携え津野町へ渡り吉村虎太郎の生家に奉納させて頂いた。
もう一度言う。
俺は吉村虎太郎の生まれ変わりだ。
「天誅組」を敢えて「天忠組」と題された意図が知りたい。